「樹(き)のように水のように生きる」

並木 紀子


第4回 2023,3月

告知前後の事②

前回は、初めて平井先生に診察していただいて、検査入院まで1カ月待つように言われたところまででしたね。
今回は、それからの事を書きます。

待っているあいだに、症状はどんどんと進んで行きました。
包丁が持てなくなったので、スライサーを買って切りました。
鍋も持ち上げられないので、次男を呼んで持ち上げてもらいました。
また、座っていると足がムズムズとしてじっとしていられず、立ち上がって足踏みを繰り返していました。
これは何の病気なのか、これからどうなるのか不安でいっぱいで、早く検査して欲しくてたまりませんでした。

待ちに待った、神経病院からの連絡が来たのが5月末でした。
案内されたのは女性だけの6人部屋で、まだ歩ける人ばかりでした。
それから、平井先生からの聞き取り、看護士からの聞き取りから始まって、連日様々な検査を受けました。
血液検査、レントゲン、CT、MRI、心電図、排気量、筋電図などなど。
辛かったのは腰椎穿刺(ようついせんし)でした。
横向きに寝て、エビのように背中を丸めてくださいと言われたので、その通りにしたら、腰に激痛が走りました。
背骨に太い注射針を刺し込んで、脊髄液を採って検査するというものです。
こうやって、病気の可能性を一つ一つ消して行きました。

最後に、針筋電図という検査を受けた時の事です。
(この検査は、ただの筋電図とは違って、筋肉の両端に針を刺し、間に電流を通して筋肉の反応を観るものです。とても痛いものでした。)
検査結果を見た技士と平井先生が、うなづき合っているのに気がついて、私は
「ああ、とうとう病名が判ったんだな!」と直感しました。
案の定、病室に帰ってからしばらくして先生がいらっしゃいました。そして
「来週の土曜日に、家族みんなで来るように連絡してください。お話しがありますので」と、おっしゃったのです。

当日には、夫と三人の息子たちが揃って来てくれました。
面会室に通されると、平井先生と看護士長が並んで座っていました。
私たちにも座るようにうながして、先生は静かに話しはじめました。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。
診断が確定しました。
紀子さんの病気は、進行性難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)です。
全身の神経が徐々に侵されて行くため、筋肉が萎縮して動かなくなって行きます。
残念ながら、原因も治療法もまだ見付かっていませんが、今、世界中の医学者が全力で研究しているので、
必ず将来には、治療法が見付かるでしょう。
なので、絶望だけはしないでください。

心臓の筋肉だけは大丈夫なので、生き続けられます。
手から始まる人、脚から始まる人、首の上から始まる人などいろいろです。
また、進行の速度も、速い人も居れば遅い人も居るので、予測は出来ません。
脳と感覚は侵されないので、最後まで考える事が出来ます。

昔は、飲み込めなくなった為に、栄養失調で亡くなる人が居ましたが、
今は、胃から直接栄養を摂れる胃ろうという方法があります。
また、呼吸筋が衰えて、息が出来なくなって亡くなる人が多いのですが、
今は、小型で優れた呼吸機が開発されているので、家で暮らすことが出来ます。
その内、気管切開をするか、しないか、決断しなければならない時が来ると思いますが、
気管切開をすれば、寿命を全うできるかも知れないので、ぜひ気管切開をして生き続けてくださることを望んでいます。
私も全面的にお支えしますので、希望を失わずに生きて行ってください」

こうして今、平井先生がおっしゃったことを思い出していたら、感動して涙ぐんでしまいました。
でもそのときは、先生の説明を理解しようと必死だったので、涙一つ出ませんでした。
家族みんなで自室に帰って来たとたんに、涙がドッとあふれ出しました。
すると夫が
「まあ、茶でも飲めよ」と言ってくれました。
しばらくして、みんなが帰る時に
「明日、一人になるのが心細い」と言ったら、三男が
「じゃ、僕が来るよ」と言ってくれました。

翌日来てくれた三男は、ぜん息の発作が起きた時、自分なりに考えた対処法を教えてくれました。
(三男は2才からぜん息を発症し、小学校に上がった時から少し良くなったのですが、完治はせず今だに薬が手離せないのです。)
その対処法というのは、薬が効いて来るまでの苦しさに、どうやって耐えるかという事でした。
椅子に座り、ひざの間に頭をつっこんで、ひたすら
「苦しくない、苦しくない」と唱えるというのです。
それを聞いて
「ああ、この子も病気に耐えて来たんだ!私も泣いてないで、これからの事を考えなければ」と改めて思ったのです。

それから、在宅療養生活の体制が整うまで、病院で過ごしました。
その時の事は、また次回までお楽しみにね!
皆さん、読んでくださってありがとうございました。

  今日来るは 誰と誰ぞと 名を数へ
      その人を待つ 楽しからずや

  曇天 (どんてん)に ただ一輪の 紅椿


並木紀子(なみきのりこ)
1951年生まれ。2009年に進行性難病のALSの診断を受け、現在は人工呼吸器をつけ重度訪問介護サービスを24時間利用しながら生活を送っている。
2018年に絵本を自費出版。
https://www.youtube.com/watch?v=q3DQ84quLPM

「体は不自由でも 心は自由です。空を飛びます。風を切って走ります。楽しい歌を歌います。あなたへ 言葉を送ります。のりこさんの 声を聴いてください。」
推薦文より

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