第8回 本当に名は体を表すのか?~理解し合うために必要なこと~
月に一度のコラムを書く過程で、自分の考えを整理したり経験したことを掘り起こしたりすることになり、私自身にとっても有意義な時間を過ごすことができている。本当にありがたい。前回のコラムを書いた際には家族について色々なことを思い出した。私の「拓」という名前は開拓の「拓」である。自分の人生を切り拓いていけるようにという願いと、父の名前が「正悟」と漢字2文字だったから息子は1文字の方がいいだろうという、謎の理屈によって決まったと聞いている。後者はともかく、前者については名前負けとならぬよう、名に恥じない生き方をしていかなければと思っている。
名前といえば、2000年以降、「障害者」という呼称や表記を変えようという動きが一部にある。障害の「害」という字のイメージが悪いから障「がい」や障「碍」と書こうということらしい。英語圏でもhandicapped person、disabled person、person with disabilities、challenged personのように、よく使われる呼称が変わってきていると聞く。ただ、そのように変えることが本当に障害を持った人への理解につながるのか、私には疑問に思えてならない。
プロフィールにある通り、私は介護や医療に関わり多くの人と共に考えるという仕事をしており、その中で様々なことを耳にする。たとえば、認知症は痴呆症と呼ばれていたが、「呆」という字の印象が悪く、また必ずしも症状を正しく表現していないとして2004年に国内で変更され、一般的に浸透した。一方で、糖尿病は高血糖状態が続くことによって様々な臓器や神経、血管等にダメージが蓄積していく病気であり、名称の「尿に糖が出る」のは(かなり重症な場合の)症状の1つだ。「高血糖症候群」のような表現が正確だと私は思うが、一般的に糖尿病で浸透しており一定の理解はされているだろう。病気に対する理解を広めるのに、呼称や表記の変更は必須とは言えないのではないだろうか。そしてそれは、障害についても同じだと私は考えている。
30年ほど前、私が通っていた普通小学校にADHD(注意欠陥多動性障害)の男の子(C君とする)が入学してきた。彼は私の2学年下で、入学当初は母親が付き添っていたが、次第に彼はひとりで通学できるようになった。授業中の様子まではわからないが、学校行事にも普通に参加し楽しそうに過ごしていたのを覚えている。クラスメイトとの関係は、ある程度良好だったのだろう。しかし、C君が私と同じ中学校に入学するとその環境は一変してしまった。彼は私の出身校でない小学校(B小学校とする)出身のクラスメイトから拒絶されいじめを受け、授業中に学校を飛び出すという「事件」を起こしてしまい、特別支援学校への転校を余儀なくされたのである。B小学校には今でいう特別支援学級(普通学校の中に設置される、主に軽度の障害のある子どもが在籍するクラス)があるので、C君をいじめてしまったクラスメイト達も障害のある子の存在を知らなかったはずはない。だが、彼らにとってC君のような子は「自分達とは違う子たち」という程度の認識で、理解していこうとしなかったのだとしたら、このような結果になってしまったのも説明がつく。この当時から障害者のことを障「がい」者と表記していればC君は転校せずに済んだかといえば、そんなことはないだろう。人が人を理解するためには、共に過ごした時間の長さや共有した経験の量こそが大切なのだと、感じずにはいられない出来事だった。
誤解を恐れずに書くならば、目の前の相手を理解して関係を作っていこうとするとき、病名や障害名はあまり関係がないのだ。私の障害者手帳には「脳性麻痺による四肢体幹機能障害」とあるが、ヘルパーにケアをお願いするときにそんなことはどうでもいい。より良い関係を目指すのならば、私が自力できることとサポートが必要なこと、大切にしていることと避けたいこと等を共有し、時間をかけて互いを理解していくほかにないのだ。職場や学校での関係づくりも、本質的には変わらないだろう。少なくとも私の経験からは、病名や障害名は大きな要素とは言えない。障害の「害」の字をどう書くかなどということは、なおさら瑣末なことのように感じる。
ただ、私たちがどんな社会をつくりたいかを考え、社会としてサポートが必要な人への支援制度の設計や政策決定をする際には、病気や障害をもつ人を「○○病の患者」や「障害者」とくくって考えることが必要な場合もある。社会としてヒト・モノ・カネをどこまで注ぎ込むべきなのか、注ぎ込むことができるのかという、個々のケアや治療をどうするかとは異なる視点で考えるべき問題だからだ。しかしその場合であっても、支援拡充の理解を得る等の目的で病気や障害を持つ人へのイメージを改善する必要があるのなら、病名や障害の「害」の表記を変えるよりも、様々な人がともに時間を過ごす機会を増やす方策を論じる方がよほど効果的だと私は思う。
私は自分の仕事や活動を通して、できるだけ多くの人が自分らしく活躍し、居場所を持てる社会をつくっていきたい。そのためには、特に介護や医療に携わる多くの人に「目の前の相手を丁寧に見つめる視点」と「広く社会を見渡す視点」の両方をバランスよく持つように意識をしてほしい。それは、名称や表記など枝葉末節の議論に惑わされず、本当に効果的な支援のあり方を考えることにつながるのではないだろうか。私自身も、引き続き努力しなければいけないと思っている。
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。