時間の流れは、時には早く、時には遅く感じる。私に感じられる時間は遅くとも、ご主人の体感での時間の流れは、きっと早いものだろう。一秒の重みが違うからだ。重力でも重いものは早く落ち、軽いものはゆらゆらと落ちる。ゆっくりと流れる時間、ゆらゆらと落ちてゆく時間を過ごせているだけでも、生命体にとっては幸せなことなのかもしれない。
私がそう考えるようになったのは、ALSを患い僅かな余生を過ごしている年配男性のお宅に、支援者としてお邪魔をすることになったのがきっかけだ。筋力が日に日に低下していくALS。身の自由だけではなく、呼吸をするための筋力さえも失われてゆき、最期の時を迎える大病、それがALS。現代の医療では成す術がなく、必ず死を迎えることになる。私には強制的な死に思える。やりたいことはできなくなり、食べたいものも食べれなくなるだけではなく、もっとたくさん生きて家族とずっと過ごしていきたいのに、人々が当たり前とする日常を過ごすことさえも、もう叶えられない願いなのだから。
それでもご主人は延命処置を拒んでいたことを知った。これ以上の負担を家族に負わせられないと“家族愛”からの強い決意と覚悟を感じ、胸が痛んだ。
奥様は介護職員に対して厳しい目をお持ちの御方だった。私たち重度訪問介護の職務は“見守り”が基本となるのだか、その“見守り”の姿勢に少しでも緩みが見られるとお怒りになり、技術不足が続けば指摘をする。私も何度かお叱りを受けた。でもそれは当然だ。我が身に置き換えてみれば当たり前なことだと思える。親や兄弟、妻や子供のいずれかの存在が大病を患ってしまったとする、そんな大切な人への“見守り”の姿勢が中途半端なものだったとしたならば、私も同じく怒ると思う。そして厳しい目を持つことだろう。奥様の厳しさも家族愛からなるもの。そう思うと和むものがあった。が、どこか悲しく、苦しい思いにもなった。
奥様はよく、私が見えないところで泣いていた。直接その姿を見たわけではないが、すすり泣いている弱い声が、冷たい廊下を渡って、私が待機している部屋にまで届いていた。細胞の震え具合が伝わるくらいの吐息が、窓をあわく叩く風のような声で耳に届いてきていた。
ご主人も泣いていた姿を見たことがある。その顔を直に見たわけではない。私が見た姿は、庭にあちらこちらに咲く色とりどりの花を窓越しに、車イスに座ったままじっと眺めている細い後ろ姿だった。秋の爽やかな太陽の温もりが射す窓に反射したご主人の顔は、湯気に覆われたお風呂場の鏡のように薄っすらとしか見えていなかった。けど様子は伺えた。筋力低下によって奪われてゆく声と吐息に乱れはない、が、その表情だけが泣いていた。聞こえてこない声と吐息が幻聴として聞こえていたように、私には感じられた。
我々訪問介護の役割には、見守りや介護といった職務の他にも、ご利用様とご家族の家族愛、または絆を、本来のままの姿を保つということにも貢献しているのかもしれない。私たちのような存在がいなければ、要介護者の介護はご家族がすることになる。家族なのだから当然と思うだろうが、はたしてそうだろうか。
我々重度訪問介護の職員は、昼と夜を数人体制で交代しながら、ご利用様を一日中見守っている。我々訪問介護のほかにも、訪問リハビリ、訪問入浴、訪問看護など、多くの職種と専門家が携わっている。こうして何とか安定を提供することができているが、これらを家族だけでやるとなると、相当な負担が伸し掛かかってくることは免れられない。
眠れる時間は大幅に減ることだろう。いいや、ぐっすりと眠れる時間なんてないかもしれない。そんな中、仕事にも行かなければならない。しかしその仕事にも影響がでることだろう。最悪は仕事をする時間さえもなくなるかもしれない。食事も味わってなんて食べていられない。お風呂もゆっくり入ってなんていられない。自分に使える時間なんてものはない。見守り続けなければならないのだから。一日中の見守りとはそういうことだ。
家族とはいえ、一人の人間としての自由がない生活を送り続けてゆけば、苦痛を覚えてしまう瞬間を迎えることになるかもしれない。その苦痛は、継続される時間が長くなる分だけ、積み重ねてきた時間が蓄積された分だけ、苦痛を越えた何かしらの感情を生み出してしまうことになるのかもしれない。
「介護疲れ」という言葉が存在している時点で、それが現実なのだと思う。介護疲れが動機となった事件は実際に起きてしまっている。
介護疲れが動機となる事件を起こしてしまうご家族の心境とは、どのような状態なのだろうかと考えてみた。残酷な言葉しか浮かんでこない。
介護に疲れた。もう嫌だ。
なんで私がこんな思いを。
辛い。楽になりたい。早く死んでほしい。
このような思いが巡っているような気がしてならない。ご家族が辛い状態にあれば、要介護者ご本人の思いにも、悲しい言葉しか浮かんでこない。
私のせいで家族が辛い思いをしている。
申し訳ない。
私のせいで、私のせいで。
家族に迷惑をかけてしまうくらいなら、早く死んだほうがいい。
ご家族は早く死んでほしい。要介護者ご本人は早く死にたい。と、家族愛が崩壊してしまっている状態にあるように思える。
私たち訪問介護は、このような家族愛の崩壊を防ぐ役割にもなっているのかもしれない。
ご家族は、もっと長く生きてほしい。
ご本人は、もっと長く生きていたい。
こう思い合える状態こそが、家族だと思う。ご家族が背負ってしまう負担を、私たち訪問介護が請け負うことによって、ご本人とご家族は最期の時まで、本来の家族のままの姿で過ごせてゆけるのだと、私はそう信じたい。
だからこそ切なくなる。
ご主人は自分に残された時間を分かっていると思う。支援者として傍にいる私には、無言のメッセージのように伝わってくるものがある。一秒一秒を大切に生き、一秒でも長く生きていたいと。それは、一秒でも長く家族と過ごしていたいからだと思う。
奥さまにも同じ思いがある。一秒でも長く生きていてほしい。一秒でも長く一緒にいてほしいと。いつまでも夫婦で一緒にいたいからだと思う。
あのとき聞いた奥様の涙声。あのとき見たご主人の悲しい表情。お二方の涙に遠回しに触れてしまった私には、このご夫婦が培ってきた時間を感じた。
出逢ってから恋に発展するまでの時間。
恋人としての始まりの喜び。
恋が愛に変わりゆくまで過ごした時間。
男性と女性としての、たくさんの思い出があるに違いない。
そして結婚し、子供を育み、親になってきた時間。
父親と母親としても、昨日のことのように覚えている思い出が、きらきらと輝く星の数ほどに多くあると思う。
悲しく苦しいときに過る思い出は、不思議と、楽しく笑顔でいたときの光景ばかりになる。きっと、ご夫婦がそれぞれに密かに甦らせている思い出も、空気感と心に花が咲いていた瞬間の光景ばかりかもしれない。セピア色に褪せていた思い出にも、温もりや風が感じられるくらいに色を戻したものがあるかもしれない。
四季の巡りを繰り返し共に過ごしてきたご夫婦が一緒にいられる時間は、もう少ない。残された時間の流れは、ご夫婦にとってはとてつもなく早く感じるものだろう。短く早く感じる時間の中でも、私たち支援者は安定を提供し続けなければならない。残された時間を過ごすご夫婦の心を、ゆらゆらと揺れる花のように、穏やかなものにしていきたいからだ。
私がそう考えるようになったのは、ALSを患い僅かな余生を過ごしている年配男性のお宅に、支援者としてお邪魔をすることになったのがきっかけだ。筋力が日に日に低下していくALS。身の自由だけではなく、呼吸をするための筋力さえも失われてゆき、最期の時を迎える大病、それがALS。現代の医療では成す術がなく、必ず死を迎えることになる。私には強制的な死に思える。やりたいことはできなくなり、食べたいものも食べれなくなるだけではなく、もっとたくさん生きて家族とずっと過ごしていきたいのに、人々が当たり前とする日常を過ごすことさえも、もう叶えられない願いなのだから。
それでもご主人は延命処置を拒んでいたことを知った。これ以上の負担を家族に負わせられないと“家族愛”からの強い決意と覚悟を感じ、胸が痛んだ。
奥様は介護職員に対して厳しい目をお持ちの御方だった。私たち重度訪問介護の職務は“見守り”が基本となるのだか、その“見守り”の姿勢に少しでも緩みが見られるとお怒りになり、技術不足が続けば指摘をする。私も何度かお叱りを受けた。でもそれは当然だ。我が身に置き換えてみれば当たり前なことだと思える。親や兄弟、妻や子供のいずれかの存在が大病を患ってしまったとする、そんな大切な人への“見守り”の姿勢が中途半端なものだったとしたならば、私も同じく怒ると思う。そして厳しい目を持つことだろう。奥様の厳しさも家族愛からなるもの。そう思うと和むものがあった。が、どこか悲しく、苦しい思いにもなった。
奥様はよく、私が見えないところで泣いていた。直接その姿を見たわけではないが、すすり泣いている弱い声が、冷たい廊下を渡って、私が待機している部屋にまで届いていた。細胞の震え具合が伝わるくらいの吐息が、窓をあわく叩く風のような声で耳に届いてきていた。
ご主人も泣いていた姿を見たことがある。その顔を直に見たわけではない。私が見た姿は、庭にあちらこちらに咲く色とりどりの花を窓越しに、車イスに座ったままじっと眺めている細い後ろ姿だった。秋の爽やかな太陽の温もりが射す窓に反射したご主人の顔は、湯気に覆われたお風呂場の鏡のように薄っすらとしか見えていなかった。けど様子は伺えた。筋力低下によって奪われてゆく声と吐息に乱れはない、が、その表情だけが泣いていた。聞こえてこない声と吐息が幻聴として聞こえていたように、私には感じられた。
我々訪問介護の役割には、見守りや介護といった職務の他にも、ご利用様とご家族の家族愛、または絆を、本来のままの姿を保つということにも貢献しているのかもしれない。私たちのような存在がいなければ、要介護者の介護はご家族がすることになる。家族なのだから当然と思うだろうが、はたしてそうだろうか。
我々重度訪問介護の職員は、昼と夜を数人体制で交代しながら、ご利用様を一日中見守っている。我々訪問介護のほかにも、訪問リハビリ、訪問入浴、訪問看護など、多くの職種と専門家が携わっている。こうして何とか安定を提供することができているが、これらを家族だけでやるとなると、相当な負担が伸し掛かかってくることは免れられない。
眠れる時間は大幅に減ることだろう。いいや、ぐっすりと眠れる時間なんてないかもしれない。そんな中、仕事にも行かなければならない。しかしその仕事にも影響がでることだろう。最悪は仕事をする時間さえもなくなるかもしれない。食事も味わってなんて食べていられない。お風呂もゆっくり入ってなんていられない。自分に使える時間なんてものはない。見守り続けなければならないのだから。一日中の見守りとはそういうことだ。
家族とはいえ、一人の人間としての自由がない生活を送り続けてゆけば、苦痛を覚えてしまう瞬間を迎えることになるかもしれない。その苦痛は、継続される時間が長くなる分だけ、積み重ねてきた時間が蓄積された分だけ、苦痛を越えた何かしらの感情を生み出してしまうことになるのかもしれない。
「介護疲れ」という言葉が存在している時点で、それが現実なのだと思う。介護疲れが動機となった事件は実際に起きてしまっている。
介護疲れが動機となる事件を起こしてしまうご家族の心境とは、どのような状態なのだろうかと考えてみた。残酷な言葉しか浮かんでこない。
介護に疲れた。もう嫌だ。
なんで私がこんな思いを。
辛い。楽になりたい。早く死んでほしい。
このような思いが巡っているような気がしてならない。ご家族が辛い状態にあれば、要介護者ご本人の思いにも、悲しい言葉しか浮かんでこない。
私のせいで家族が辛い思いをしている。
申し訳ない。
私のせいで、私のせいで。
家族に迷惑をかけてしまうくらいなら、早く死んだほうがいい。
ご家族は早く死んでほしい。要介護者ご本人は早く死にたい。と、家族愛が崩壊してしまっている状態にあるように思える。
私たち訪問介護は、このような家族愛の崩壊を防ぐ役割にもなっているのかもしれない。
ご家族は、もっと長く生きてほしい。
ご本人は、もっと長く生きていたい。
こう思い合える状態こそが、家族だと思う。ご家族が背負ってしまう負担を、私たち訪問介護が請け負うことによって、ご本人とご家族は最期の時まで、本来の家族のままの姿で過ごせてゆけるのだと、私はそう信じたい。
だからこそ切なくなる。
ご主人は自分に残された時間を分かっていると思う。支援者として傍にいる私には、無言のメッセージのように伝わってくるものがある。一秒一秒を大切に生き、一秒でも長く生きていたいと。それは、一秒でも長く家族と過ごしていたいからだと思う。
奥さまにも同じ思いがある。一秒でも長く生きていてほしい。一秒でも長く一緒にいてほしいと。いつまでも夫婦で一緒にいたいからだと思う。
あのとき聞いた奥様の涙声。あのとき見たご主人の悲しい表情。お二方の涙に遠回しに触れてしまった私には、このご夫婦が培ってきた時間を感じた。
出逢ってから恋に発展するまでの時間。
恋人としての始まりの喜び。
恋が愛に変わりゆくまで過ごした時間。
男性と女性としての、たくさんの思い出があるに違いない。
そして結婚し、子供を育み、親になってきた時間。
父親と母親としても、昨日のことのように覚えている思い出が、きらきらと輝く星の数ほどに多くあると思う。
悲しく苦しいときに過る思い出は、不思議と、楽しく笑顔でいたときの光景ばかりになる。きっと、ご夫婦がそれぞれに密かに甦らせている思い出も、空気感と心に花が咲いていた瞬間の光景ばかりかもしれない。セピア色に褪せていた思い出にも、温もりや風が感じられるくらいに色を戻したものがあるかもしれない。
四季の巡りを繰り返し共に過ごしてきたご夫婦が一緒にいられる時間は、もう少ない。残された時間の流れは、ご夫婦にとってはとてつもなく早く感じるものだろう。短く早く感じる時間の中でも、私たち支援者は安定を提供し続けなければならない。残された時間を過ごすご夫婦の心を、ゆらゆらと揺れる花のように、穏やかなものにしていきたいからだ。