利用者・加藤拓の経験”知”

加藤 拓


第32回 札幌への旅から得たもの

私は子どもの頃からゲームをやってきたが、最近ふと思ったことがある。いわゆるRPGにおいて、旅をして道中で敵と戦って街に到着した際に、多くの作品では宿屋で1泊すると体力が全回復するシステムになっている。
自宅でない旅先で一晩寝ただけで体力が全回復するのだから、”勇者”一行はよほど若くて健康なメンツばかりなのだろうか。
高齢の魔法使いが仲間にいる作品もあり、体調はどうなのかと言いたくなってしまう。
少なくとも私は、自宅でゆっくり一晩寝ても翌朝に絶好調になることはもはやあり得ない年齢だ。
実にくだらないツッコミどころだが、子どもの頃に一切疑問を持たなかったことが気になるということは、それだけ私も様々なことを経験したということだろう。
そんな私だが、この夏の終わりにとても大胆な挑戦をして、大きな経験を積むことができた。
1泊2日で札幌に行き、所属団体のスタッフとして研修会に参加したのである。

私が飛行機で旅をするのは高校の修学旅行以来2度目で、自分で手続きをしたのは初めてだった。
電動車椅子の寸法や重量、バッテリーの種類と取り外しの可否など、細かく事前に電話で説明した。
それでも、空港のカウンターで全く同じことを聞かれるが、決まりだから仕方ないのだろう。そこでイラッとしてはいけないというのは、今回の旅の学びの1つだ。そして、上から目線で恐縮だが空港のスタッフやCAさんは、各種サポートの対応がとても上手になられたと感じる。
車椅子の操作、私の立ち上がりや移乗の介助など、思ったよりとてもスムーズに対応してくださり、本当にありがたかった。
20年前は大勢人がいてもオロオロするばかりで、父がやっていることを見ているだけだったことを思うと、隔世の感がある。
交通バリアフリー法ができたことに加えて当事者が勇気を持って出かけたこと、企業が対応を考えて実践しブラッシュアップしていることなど、多くの人の努力で、今私も快適な旅ができるようになったことを忘れてはならない。

新千歳空港と札幌の移動は、JRの列車本数が多く便利だった。
古い車両の場合車両の乗降口からさらにもう一段上がるため、長い渡り板を使う。そこは注意が必要だが、主要駅ならバリアフリー化されていて車椅子での利用も容易だった。
札幌市内は地下街が整備されていて地下鉄も便利だったが、地上の路面は舗装されているのにボコボコだった。
現地在住のトラベルヘルパーによると、氷雪の影響でアスファルトが傷んでしまうからなのだという。市内の中心地であっても、地上の道路を車椅子で長距離移動するのは得策ではないことがわかった。
宿泊先は老舗のホテルを選んだため、余裕はないもののバリアフリールームでなくても電動車椅子で入ることができた。部屋には館内案内の冊子がなく、テレビのデータ放送の画面で避難経路や大浴場、レストラン等の情報を確認する仕組みになっていた。
最近のホテルがみなそうなっているかはわからないが、旅慣れない私にとっては新鮮な驚きだった。実際に行ってみなければ知り得ないことが、多くあるものだ。

また、トラベルヘルパーのケアの丁寧さとスムーズさには舌を巻くばかりだった。
旅行の介助を専門に行うのだから、大半は初見の利用者なはずである。
事業所を通して書類ベースで身体状況や介助の方法を伝えられるとはいえ、それをよどみなく実践できて、さらに現地のガイド的な役割までこなしてしまうのだからたいしたものだ。
それだけの技術と経験に加えて、ハンデを持つ人にも旅を楽しんでほしいという強い思いを兼ね備えた人材ということだろう。
ただ、トラベルヘルパーという分野の認知度は思いの外低い。私のケアに来るヘルパーや統合過程の受講者に話すと「そんなサービスがあるのか」という反応をする人が少なくない。
まだまだニーズを掘り起こせそうな分野だけに、私ももどかしさを感じる。
また、自費サービスであり今回の1泊2日の工程でも安くはない料金になる。やはり、より良いサービスを受けるためには相応の負担をしなければならないのだということを、改めて学んだ。

このように、今回の旅では実際に行かなければわからないことを多く体感できた。その中で、私が遠方へ旅する時に、以下の点が課題になることがわかった。

・飛行機の機内では航空会社側から介助者の同乗を求められる
・介助者1人にずっと頼りきりになると負担が大きい
・トラベルヘルパーの利用料金は安くはない

今回はたまたま所属団体に介護福祉士の資格を持った男性メンバーがおり、彼が羽田から出発して戻ってくるまで同行してくれた。そのおかげで飛行機に乗ることができて、現地でもトラベルヘルパーと協力して無理なくサポートしてもらうことができた。
また、所属団体が獲得した助成金を活用した研修会だったため、トラベルヘルパーの利用料金も含めて費用面でのサポートもあった。しかし、これらすべての費用を自分が負担するとなると依然ハードルは高い。
それでも、飛行機の距離の旅ができたという成功体験を積み重ねたことはやはり大きい。父が亡くなって17年、母が脳梗塞を患って13年になる。家族の介助が見込めなくなったことで、私は旅行するということを諦めていた。
飛行機に乗って遠方まで行くなんてこの先もうないだろうと思っていたし、旅行には行けなくても楽しく生きていけるとも思っていた。
そんな私の世界を広げてくれたのは、所属している2つの団体で一緒に活動する仲間達だ。
仲間達が「加藤も一緒にやろう!一緒に行こう!」と言ってくれるおかげで、私は自分ひとりではできないような大胆な挑戦をすることができた。改めて仲間達と、今回対応してくださったスタッフの皆さまに感謝したい。

冒頭でゲームの話題に触れたが、ゲームの世界では大量の経験値を得ると即レベルアップして新たな魔法や技を覚えるものだ。
しかし、現実世界ではそうはいかない。実は、急に広がった世界に驚き戸惑う自分もいる。
それでも、時間をかけてさらに別の経験と組み合わせることで、少しずつ力をつけられたらいいのだ。今回の経験を、今後の仕事や社会的活動はもちろん、私生活でも活かせる日が来るように努力を続けるつもりだ。

加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。


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