介護に関心を持つきっかけ

乾 美弥子


介護に興味を持つきっかけになったのは、私の父に介護が必要になった事からだった。
父はまずは膵臓癌ステージ4と診断され、1ヶ月〜3ヶ月の余命が下された。
そしてその時、抗がん剤治療が効けば半年〜1年に余命が伸びるかもしれないと言われ、父と家族は余命が延びるなら!と期待して、抗がん剤治療の選択をした。

当時、父は68歳。進行は早い方だったからすぐにでも抗がん剤治療をスタートさせた。
けれど気がつきにくい膵臓癌からは、すでに癌は全身に回っていて、血液にも癌が転移しており、血液が詰まってしまった。
結局、抗がん剤治療を初めて2週間で父は脳梗塞を引き起こして半身不随となった。
言葉も出ない、動くのはかろうじて左手、意識だけが残るという状態。
そうなると抗がん剤治療どころではなくなって、残りの余生は家族で介護しながら自宅で過ごして貰おうと、準備へと動いた。
ただ家で介護出来る準備はすんなりいかなくて、時間を要してしまい、父は自宅に戻る事なく脳梗塞から2週間後に病院で息を引き取った。
せっかくの自宅介護する準備は虚しくも水の泡となったけれど、父が家で過ごせる事に家族が全力を注いだ事は家族が一致団結ができた時間になり、父はかろうじて動く左手で、iPadの文字を打ったりして会話を図ることができて、すごくたわいもない愛おしい時間を過ごせた。
父には出来るだけ長く生きて欲しいと家族全員が思って、延命出来る抗がん剤治療を選んだ事に関しては疑問が残る結果になった。
それは延命が叶わなかった事で、実は延命なしを選んでいた方が幸せだったのかもしれないという後の祭り。
人間、余命が残り少ないと宣告されるとやはり延命したい心理になるのだと分った。

それで今回、具体的に研修でALSの事を知り、気管切開をして呼吸器をつけ延命出来る可能性のある判断のところに、私の父の延命判断した時に置き換えた節があった。
そしてALSは本当に恐ろしい病気だと再認識した。身体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれるが、筋肉が動かせなくなる、脳から指示が行き渡らない怖い状態なると…。
それは生き地獄なんじゃないかと想像してしまう。
更に呼吸困難になり、気管切開の有無をさせる、そんな事を選択させるなんて罪だと思った。
自然死を選ぶか、呼吸器をつけて延命するか…どちらにも正解が無く苦しい。
だけれど、余命を宣告された家族にとっては長く生きて欲しいと想う心理を私と私の家族は体験している。
だったらその本人の意思、家族の想いに寄り添って私は残りの余生ある利用者様のお手伝い、サポート出来ればと切に想う。
また、誰にでも起こりうる障害は健常者と隔てなく、平等である権利も皆んなに知って貰いたいとこれから呼び掛けたい!小さな声でしかないかもしれないが、この会社で一丸となれば叶っていくと信じ務めて参る所存です。宜しくお願いします。

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