年始コラム

菅野 真由美



「あたりまえ」を考える

家族と過ごす。
朝いってきますと言った人がただいまと帰宅する。
歩ける。話せる。
病気になれば医者が診てくれる。
介護が必要なら受けられる。

日々の「あたりまえ」はその尊さに気付かないまま過ぎていく。
朝目覚めたときに、昨日と変わらぬ生活に、その環境に感謝をしてきただろうか。

2023年の幕開けは、帰省中の娘がインフルエンザにかかったところからであった。
「発熱外来」なるワードが世に出て以来、病院受診のハードルが上がった。
正月という状況のなか診てくれる病院を探しまくること3日間、どこの発熱外来もいっぱいで予約とれず。
解熱剤など使用しても1度程度しか下がらない40度の高熱状態の中、3日目の夕方にようやく別の市町村の医師に診ていただけた。
具合が悪くなっても病院にかかれない時代の始まりを垣間見た出来事だった。

不覚にも9月に入院と手術という出来事があった。
人生初ではない。
だから頭ではシュミレーションできているつもりであった。
が、自分の中の「あたりまえ」が「あたりまえ」でなくなった時の喪失感と絶望感は大きい。

痛みのコントロールに関しては医学と薬の進歩に助けられた。
歩けない、食べられない、も一時なので我慢が出来る。
問題は排泄。
管を外した後、当然トイレで自力で出せると思っていた。
出ない…。
尿意はある。
お腹もパンパンに張って痛い。
なのに出せない。
麻酔の後遺症説明で聞いていたものだ。
痛みの我慢の限界に達しナースコールを押す。
来た看護師の言葉でさらに絶望的な気持ちになる。
「点滴量からしてまだ膀胱に溜められるはず、もう少し頑張って」
押し問答の末、管を入れてとってもらった量は約700cc。
辛かった。
自分の意志で出来るってすごいことだったんだ。

入院中は色んなことの幸せも再認識した。
朝起きてコーヒーを飲む。
気に入った音楽を聞く。
お風呂に入る。
このことがどれだけ日々の癒しになっていたことか改めて気付かされる。

先日駅のホームで白杖の方が電車から降りた大勢の人込みのホームを歩いていた。
肩貸しましょうか?と咄嗟に声をかけていた。
その方も快く「お願いします」と。
目の不自由な方のお手伝いをしたのは人生で2回目だ。
1回目は実務者研修を終えてすぐの時。
覚えたての「9時の方向」「3時の方向」の声かけに「慣れていらっしゃる」と言われ、学んだことが誰かの役にたてている嬉しさがこみ上げた。
その時は帰る方向が同じだったため、新宿から大宮までご一緒させてもらった。
今度の方は乗り換えのホームまでのお手伝いだった。
「何度か乗り換えされてますか?」
「何度も一人で乗ってますのでホームまでで大丈夫です」
その言葉を信じ電車を待つ人の列でお別れした。
大丈夫だろうか?そんな不安を横に難なく乗車されていった。
この方はきっとこれが日常であり「あたりまえ」なのだろう。
杖の感覚と足元の点字、あとは聴覚だけで電車を乗り継ぐこと。
誰かに声をかけられることも、また誰からも声をかけられないことも。
どれも「あたりまえ」として受け止め決して抗わず

今日の「あたりまえ」は明日の「あたりまえ」とは違う。
自分の「あたりまえ」と他者の「あたりまえ」も違う。

介護の世界はどうだろう。
そもそも介護にあたりまえはない。
昨日と今日に全く同じなどないからだ。
だがここ最近の人手不足の深刻さが増した。
募集をしても応募がない。
そのため「あたりまえ」に現場に人が出せない。
ここでも「あたりまえ」に医療や介護が受けたくてもうけられない時代が始まっている。

このままいけば需要と供給のバランスが崩れる時がくるだろう。
「あたりまえ」に介護が受けられない日が。
担い手である世代の数が減ってきている現状はもはや企業レベルで解決不可能とも思える。

それでも私たちは考える。
どうすれば希望を叶えることができるのか。
「全ての必要なひとに必要なケアを届けるため」に。
介護する人もされる人も「自分らしく生きられる社会」を作り出すために。

2024年も皆様と一緒に考え続けていきたい。


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