私は「障害者である妹が身内にいる家庭」で育ちました。また、私が小学生の頃、母親が祖父母の介護もしており、大変だなという感覚がずっと残っていて。
そんな私がなぜこの業界に足を踏み入れたのかをお話しします。
私の妹は1歳か2歳の時に脳性麻痺と診断されました。逆子で生まれた影響で股関節が悪く、手術して膝が内側に入る状態ですが歩けています。ただ、知恵遅れで頭の中身は5歳程度とのこと。排泄を含めた身の回りのことはできますがお金の管理などはできません。
また、少し言語障害があるので、慣れないとしゃべってる言葉がわからない時もありますが、自分の意思はあるので、やりたいことに対しての主張はきちんとします。そして妹は周囲の人たちからよく声をかけられてて、それにニコニコしながら答えていました。
そんな妹は、小さい頃から病院に通っていて両親はそちらにかかることも多く、小学校にあがる歳には病院が併設された養護学校で入院しながら過ごしていました。 私は、その光景を普通のことで当たり前のこととして見ていましたが、成長するに従って普通の姉妹とはちょっと違うんだなと思うようになりました。一緒に外で遊ぶことはできない。家で同じような目線で遊んだ経験もほぼない。歳が近いきょうだいだと好きな歌手だテレビの話題だなんだで話すことも多いだろうけど、そういうこともない。きょうだいだけど、なんか違う、でもこれもきょうだいなのだと思って過ごしていました。
そんな子ども時代を過ごした私は、大学卒業後親元を離れ上京し、介護とは全く違う方面の仕事につきました。一人暮らしがしたかったこと、障害者や介護が身近にある世界からは意図的に遠ざかりたい気持ちがあったからだと今は思ってますが、上京当時はそこまで考えてなかったかなと。
ただ、介護は自分が関わるべきではないし、妹も祖父母もみてきた母親を見て、私不器用だから、なんでもかんでも器用にできないよ、と思っていたのは事実です。
新卒で営業や事務などを経験し、転職してさらにいろんなことをやってきましたが、所属会社が破産したことで再度転職しなければいけないという気持ちになりました。 そんな中、情報収集のためフラッと入った転職フェアで、たまたま社長と知らずにお話しさせていただき、「うちは障害者の介護やってるんですよ!」と言われた時に………
私、今まで障害者とか介護とか避けてきたけど、もう避けられない運命なのかもしれない………
と思ってしまったんです。
これが高齢者介護って話ならばお断りしてたんですが、障害者介護ってワードが心の中にささってしまって。
いろいろ経験できる、資格も取れるという話で結局入社することになり、障害者介護に足を踏み入れることになったわけです。
今いろいろな利用者様に携わっていて、楽しく時には厳しくお仕事をしています。経験値はまだこれから上げていかないといけないな、と思ったりしているわけですが。それこそベースになってる経験が自分の中に染み付いてるからこそ、できることもあるんだなあと思っています。
そして、私はいろんな経験をしてきたからこそ今介護なんだなって思っています。今までの経験は無駄になっていない。そう思っています。
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