生きること、死ぬこと
どちらを意識しても私の頭に浮かぶのは、生後三ヶ月で亡くなった息子の姿である。
初めての出産、そこからわずか三ヶ月という短い期間の中で、私は生と死というものを否応なしに学ぶ事になるのです。
十月十日妊娠期間を含めたら、私は約1年ほど彼と一緒に過ごしました。
母性の賜物でしょうか、母親とは不思議なもので妊娠が発覚したその瞬間からもう意識が1人ではなくなります。目に見える変化があるわけでもなく、つわりが始まったわけでもなく、それでも自分の中に芽生えた生命を確信し、自分と我が子「2人」の時計が動き始めるのです。
息子の死因は、乳幼児突然死症候群(SIDS)でした。
発見時にうつ伏せだった事もあり私は自分の過失で息子を殺してしまったと、これは窒息死だと思い込みました。
自宅で亡くなった場合、事件性も考え現場検証のために警察が入ります。死因究明のため、解剖も求められました。
死因が特定されたところで一度失われた命はもう二度と戻りません。この期に及んで彼の身体を切り刻み、傷付ける事はしたくないと私は必死に抵抗したのを覚えています。
当時、警察の方がそんな私を説得するにあたって掛けてくださった言葉がありました。
「死因をはっきりさせて、お母さんが背負うべき十字架を決めよう」
自分が死なせたという、子殺しだという十字架を、本当に背負う必要があるのか確かめようと説得してくれたのです。
結果、乳幼児突然死症候群(SIDS)だと診断されたわけですが、後に文献を読みあさり、うつぶせに寝かせたときの方が SIDS の発症率が高いと知りました。新米ママの私は知らなかったのです、「無知は罪」という言葉が重く私にのしかかりました。寝つきが良いからという理由だけで、リスクを知らずにあの時うつ伏せに寝かせたのは私です。
結局、私は十字架を降ろせないまま今を生きています。
それまで私は、「なんとなく」を生きていました。
その日その時を気ままに過ごし、当たり前のように明日の予定を立てました。
自分を含めた全ての人間に、平均寿命並みの時間が与えられていると錯覚していたのです。
生きるという事を、正確には「生きて欲しい」という思いをこれほどまでに強く念じ、諦めきれず、願ったのは人生の中であの時限りです。
あの時、心肺蘇生方法はまだ知りませんでした。
パニックを起こしている私に、電話越しで教えてくれたのは救急隊の方です。「電話はこのまま切らないで!落ち着いて!」そう何度も私に言いながら指示を出してくれました。
繋ぎっぱなしな電話の横で、小さな胸を押し、小さな口へ人工呼吸を繰り返し、救急車の到着を待つ。地獄でした。 息子の顔を見れば、もうダメな事は頭のどこかでわかっていましたが、だけど、だけどだけど…何度も「だけど」を心で唱えて息子の「生」にしがみつく私がそこにいました。
私は助産院での自然分娩を選んでおり、陣痛促進剤も使えないまま24時間かかっての難産でした。母親が苦しい時は、お腹の子供も苦しんでいると聞いた事があります。
「救急車を呼ぶから薬の使える病院に移動しよう」そう提案する助産婦さんに対し、痛みと削られる体力で意識朦朧の中「行かない」と言い張って居座った記憶があります。
あの時はただ、知りもしない初対面の男性医師に出産シーンなど見られたくないというそれだけの乙女心で意地を張ったのですが…
一緒に24時間頑張ってくれた息子には感謝です。
可愛らしい産声を上げ誕生した息子をこの手に抱いた時は、確かな力強さを感じ、逞しいな、生命力って凄いな!素晴らしいな!そんな風に思いながら、今まさにこの腕の中に「命」があるのだという実感が沸いていました。
ところがそのわずか三か月後、命は失うものなのだと、同じ私の腕の中でもう動かない息子を見つめながら学び、絶望感の中で私の死生観は出来上がったのです。
人はこんなにも簡単に死ぬのか。
人は簡単に死なない、そう言う人もいます。
多角的な視点で捉えれば私もそのように思えなくもありません。しかし、あらゆるものを取り払い、生命を有する個体としてだけ見たときには、あまりに脆く弱いというのが私の感覚です。
だからこそ手を取り合って支え合い、時に文明の利器に頼り、私たちは限られた時間を精一杯生きているのかなと考えたりする時があります。
この職に就いて、更にその思いは強くなりました。生きるという事と向かい合い、ありったけのパワーを注ぐ姿を何度も目にしてきたからです。
息子を失ってからは、彼のもとに行きたいといつも思っていました。
マンションの屋上に登っては生と死の選択を悩み、朝焼けを独りで眺める日が幾度となく続いていました。
死ぬまでしっかり生きようと心に決めるまで、語りつくせないほど沢山の葛藤があり、時間をかけて心の在り方を整えてきました。
あの日から15年近く経て、部屋の整理整頓は苦手ですが、心の整理はお陰様で比較的得意な自覚があります笑
身体を張って私に生と死を学ばせてくれた息子。
もう顔も名前も忘れてしまったけれど、私が背負いきれるだけの重さの十字架に取り替えてくれた警察のおじさん。
今日まで出会った沢山の方々が、今を生きる私を作っています。
生から死へ切り替わる瞬間が、いつ訪れるかわからない毎日を怖いと感じないと言ったら嘘になります。
だけど私の命やあの人の命が、今どの地点まで運ばれたかはわかりませんが、知る事のできない運命を意識しながら1日1日を有意義に過ごさなくては。
そう思ったら…
さて、今日はどんな1日にしようかなーー!!
いつだって私は前を向けるのです。
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