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介護者と二人三脚の子育て~初めて我が子に自分が母親として求められ、その役目を果たせたように思えた瞬間~

介護者と二人三脚の子育て~初めて我が子に自分が母親として求められ、その役目を果たせたように思えた瞬間~

平田真利恵



うちの押入れには「思い出ボックス」と名付けられた三段の収納ケースがある。その中身は、娘が生まれてから今までの写真や保育園・学校などで作ってきた作品や文集、初めて履いた靴や洋服などである。はじめは小さかった思い出の品も12年分となるとその重量もかなりあり押入れから出すのにも一苦労となる。3月の小学校卒業で、また思い出の品が増えると予想しケースの中を整理しておこうと思い、撮りためておいた写真や細々した物を片付ける事にした。

私は、介護者にドン引きされる程の断捨離好きで「いらない・使わない」と思うと何でも捨てていくタイプなのだが、さすがに子供の物になると当時の事が思い出されて「仕分け」に悩む。一通り片付けが終わり、余裕ができた収納ケースを眺めながら「これからは私が知らない娘だけの思い出の品が増えていくんだろうな」と少し寂しく思いながらも、これから増えるものたちが娘にとって素敵なものであってほしいと願う。

今回の「思い出ボックス」を片付ける目的は、ある2冊のノートを探し出す事でもあった。子供が産まれた日から約6ヶ月間、毎日(介護者たちが)書いてくれていた育児の記録ノート。そこには、ミルクの時間や量・オムツ交換の回数や、その日の私と子供の様子が細かく書かれてある。今後、この育児コラムの参考にならないかと考えたからであった。

このノートを書き出した理由は、出産の際に全身麻酔で意識が朦朧としている間に起きた事が、後で記憶違いにならない様にメモがわりに介護者に「何かあったら細かく書いといて」と頼んだものだった。だから、はじめの数日間は主に私の術後の経過について書かれてあり、鎮痛剤の量や体温や出血など細かく記録されている。今、読み返してみると少し痛々しい状況だったようだ。本人的には「お腹は痛いけど元気だ」と思っていたのだが、あれはマタニティーハイだったのかもしれない。

自宅に戻ってからは、私も介護者も慣れない育児が続く毎日で記憶が飛びやすくなる為、病院で書いていた記録ノートをそのまま育児ノートに使う事となる。母乳・ミルク・ゲップ・オムツ・沐浴・ぐずり泣き………と、30分〜1時間間隔で何かしら子供に構っていた事が書かれていて2時間以上空いている時間は子供が寝ている間だけだった。今思えば、構い過ぎのようにも感じるが、新生児の扱いになれず苦戦している様子がよくわかる。私の判断でミルクを作ってもらうのだが、よく飲む時と少ししか飲まない時の差が激しい子だったので、その感覚を掴むまではミルクを何回も追加したり、飲ませすぎてしまい大量に吐かせてしまう事もあった。

出産前、母乳での育児は考えていなかった。「初乳」という赤ちゃんにとって大事な免疫力を高める栄養豊富な数日間だけの母乳を飲ませて、あとはミルクだけで育てる予定だった。私は、筋緊張や不随意運動などを抑える薬を妊娠中は絶っていた。そのためとても辛かった。無事に子供も生まれた今、育児をしていくには服薬を再開して少しでも自分の体を楽にした方がいいと考えていたからだった。

しかし、看護師さんに薬の服薬を再開したいと伝えてあったが、そんな話を全く知らなかった助産師さんに思いっきり「母乳マッサージ」というものをされた。簡単にいえば、乳袋を強い力で揉んでリンパや血の巡りを良くして母乳の出を良くするもので、本当に上手い人にマッサージしてもらうと母乳の量も増えるらしい。だが、母乳が本格的に出だすと強制的に止めるのは難しく、乳袋に炎症が出てしまうリスクがあるという事をその後、担当の看護師からきかされた。念願だった筋弛緩剤系の服薬は延期になってしまった。そして、私は体質的に母乳の出があまり良い訳ではなかったので結局、ミルクと母乳の混合で育てる事になった。

普通は母親が腕に子供を抱いて授乳するのだが、自分の座位も取れない状態でどういうふうに母乳をあげればいいのかよく分からない。とりあえず介護者に子供を抱えてもらい、私の胸の近くに子供の顔がいくようにしてもらう。しかし、生まれて間もない新生児がその体制で上手く乳袋に吸い付けるわけがなく上手く飲んでくれなくて困った。仕方がないので、搾乳器というもので一度母乳を搾りだして哺乳瓶に移して子供に飲ませる事にした。しかし、自分では搾乳器を上手く使えないから母乳を摂ってもらうのも介護者に頼むしかない。いくら同性とは言えど恥ずかしくないわけがない。当時の介護者の中には看護師の卵もいて勉強の一環として楽しくこの作業をしてくれる人もいたが、大概はなんとも気まずい時間が流れる。でも、この搾乳をしてもらわないと母乳も飲ませられないし、何より胸がカチコチになり熱を帯びてとても痛いのである。

娘が生まれてから3週間くらい経ったころ、何気なく仰向けに寝ていた私のお腹に娘をうつ伏せに乗せていた。母親の心音が聞こえると赤ちゃんは安心するらしく大人しく寝ていた。そして、ほんの数分間私もうとうととしていたら、まだ動けないはずの赤ちゃんが自力で胸の辺りまでよじ登ってきて服の上から「パクッパクッ」とおっぱいを飲もうと何度も頭と口を動かしている。びっくりした……何も出来ないはずの赤ちゃんが必死におっぱいを探して動いてきて目的を果たそうとしているのだから。

すぐに介護者を呼んで、私の脇の近くに子供を横向けに置いてもらい背中にタオルを入れて固定。私も横向きなり子供の近くに胸を近づけた。すると、さっきと同様に「パクッパクッ」とおっぱいを探し遂に自分で吸い付いて母乳を飲み始めた。はっきり言って、その時の私と娘はまるで犬や猫の母子のような姿だったと思う。しかし、娘はそれまでにないくらい必死に母乳を飲み続け満足したら、そのままぐっすり眠った。

どういう形であれ、生まれてから初めて我が子に自分が母親として求められ、その役目を果たせたように思えた瞬間だった。これをきっかけに、搾乳器や哺乳瓶を使わずに娘と私だけで母乳は飲ませられるようになる。でも、あくまでもメインの栄養としてはミルクであり、母乳による授乳は私たち母子にとって精神的な繋がりを深めるものだった。 それまで、何をするにも介護者を介していた親子がようやく2人だけの時間を過ごす事ができるようになることは、今後の介護者と二人三脚での育児を支えていく事になる。





平田真利恵(ひらたまりえ)
昭和53年生まれ、脳性麻痺1種1級。
2002年の秋、「東京で自立生活がしたい」という思いだけで九州・宮崎から上京。障害者団体で2年ほど自立支援の活動をした後、2007年女の子を出産。シングルマザーとして、介護者達と二人三脚で子育て中。 地域のボランティアセンターで、イラスト作成や講演活動を行なっている。