第27回 今だからこそ見直すべき食事の“意味”とは
突然だが、皆さまの好きな食べ物は何だろうか。お見合いやぎこちないデートの一幕の代名詞のような質問だが、多くの人が話しやすく互いを知るきっかけにできるからこそ、多用されるのだろう。ちなみに、私は明太子に目がない。どれだけ仕事で疲れていても、ストレスフルなことが続いていても、夕飯に白ごはんと明太子があればとりあえずゴキゲンである。好物を食べて機嫌を損ねる人は、そうはいないだろう。また、私には朝食のパンとコーヒー牛乳で目を覚まし、母やヘルパーと他愛ない話をしながら夕食に米(ご飯)を必ず食べることで1日を終えるというリズムがある。そう考えると、私たちにとって食事は単なる栄養補給以上の意味を持つように感じられる。そこで今回は、私たちと食事について書いてみたい。
小中学生のとき、遠足等で飯盒炊爨をしたことがある人は多いのではないだろうか。また、アウトドア派の方はキャンプをしながら料理しているだろう。私も子どもの頃に学校行事で2回、飯盒炊爨を経験し(と言っても火の見張りをしていただけだが)、楽しくいい思い出となっている。友人達と食べたカレーやシチューはとても美味しかった。しかし冷静に考えれば、アウトドアの際に不安定な火力で道具も調味料も限られる中でつくる料理よりも、きちんとしたキッチンで道具も調味料も揃えてつくる料理の方が美味しいに決まっている。それでも思い出に残るのは、いつもと違った環境で皆と協力してつくって食べることそのものが、“美味しさ”を増すからである。
この3年間の食事の環境の変化からも、実は同じような傾向を見て取れる。感染症対策が最優先とされ、大勢で集まってする「会食」は忌むべきこととされた。そのため飲食店はテイクアウトメニューに注力せざるを得なくなり、フードデリバリーサービスは特需を迎え、オンライン飲み会や黙食なるものも提唱された。
しかし、今ではデリバリーサービスには一定のニーズはあるものの特需は去り、オンライン飲み会や黙食は一部を除いて行われなくなった。なぜかと言えば、画面の向こうの仲間と食事をしても、互いに黙って食事をしても、楽しくも美味しくもないからだ。仲間と和やかな雰囲気で食べることが、どれだけ大きなことだったか痛感した人も少なくないだろう。この3年間に限らず、思い出に残る食事は何ですかと聞かれて食べ物だけを思い出す人はそう多くはなく、たいていは、どんな場面で誰と食べたということを同時に思い出せるはずだ。
つまり、私たちの食事においては何を食べたかと同じくらい、誰とどんな環境で食べたのかということも大切な要素なのである。
それを踏まえて私自身の食事を振り返ってみると、家で食べることが多く、冒頭にも書いた通り夕食は母と一緒に食べることがほとんどだ。
自分である程度食べることはできるが、次に食べたいものと今食べているものの皿をヘルパーに度々入れ替えてもらうことになる。また、外出先で食事する場合は全介助になってしまうため、次は何をくれという”お願い”を幾度となくしなければならない。
ヘルパーや所属団体の仲間たちは理解してくれているものの、自分としてはあれこれと指図しているようで、申し訳ないという気持ちもあるのだ。
ヘルパーは原則として一緒に食事をしないため、自分だけ好きなタイミングで食べたいものを食べている構図となり、申し訳なさはさらに増幅されてしまう。
また、会話が盛り上がっていたとしても、その流れを断ち切ってお願いしなければならないゆえ、雰囲気を壊してはいないかという心配もある。これは私の性格的な問題でもあるが、介助してもらう食事ならではの悩みと言える。
余談だが、私もごく稀に女性と2人で食事をすることもある。その際には、必然的に相手の女性に食べさせてもらうことになる。男性としてはまぁ、悪い気はしないが(笑)、上記の懸念事項はさらに重くのしかかり、雰囲気を保つことにはかなり神経を使う。こればかりは私が経験を積み、かつ心優しい女性と出会えるよう努力するほかないだろう・・・。
野生動物は基本的に、必要なタイミングで必要な分量しか餌を食べない。彼らにとって食事は、生命維持という意味しかないからだ。その一方で、私たちは食事を通して生活のリズムを作ったり自身をリフレッシュしたり、仲間との時間を過ごすことで関係を深めたりする。
食事に様々な意味を持たせて楽しむことは、人間らしい営みの最たるもののように感じる。しかし、日々の忙しさにかまけて食事を軽視していないだろうか。特に介護や医療の仕事をしている人は、以前から忙しさで落ち着いた食事などできていなかったと聞く。
それに加えてこの3年間は、目先の”感染症対策”ばかりに気を取られて人間らしい営みを否定してきたきらいがある。介護施設や医療機関ではまだ慎重な対応になることも、訪問介護では休憩時間が確保しづらいことも、もちろん理解できる。
しかし、ホッとする時間があった方が心の余裕が生まれ、業務に良い影響をもたらすという考え方もあるだろう。社会が以前の日常を取り戻しつつある今こそ、食事について見直すことも意味があるのではないだろうか
。
ちなみに私の場合は、40歳を目前してかなり腹囲が気になる状態にあるため、節制しなければいけないのだが・・・まぁ、来月からでいいか(笑)
加藤拓(かとう たく)
1983年生まれ。生まれつき脳性麻痺による身体障害者で、現在は毎日ヘルパーのケアを受けながら、「皆で考えてつくる医療と介護」をモットーに、講演活動やワークショップの開催を続けている。2020年7月からはヘルパー向けの研修講師も担当している。 趣味はゲームと鉄道に乗ること。