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『他人との付き合い方~“絆”と大声で言う前に』

『他人との付き合い方~“絆”と大声で言う前に』

間傳介



以前よりお酒を飲まなくなった今も、新宿の夜の光景がTVなどで映ると、口の中に安焼酎の揮発する甘ったるさが蘇り、眼前には、ネオンと電球で隔離され際立たせられた夜が、粘りまとわりつくようにすぐそこに立っている。そんな光景が立ち現れてくるようである。

「生きる」ということは一個の人間が、自分自身を成り立たせる全ての不可知(分かり得ない)の領域と組み合うことであり、難題であるがゆえに価値があり、また面白いと私は断言する。
人間生きる上で避けて通れない、人間の抱える問題と、最大の幸福との、最大の源泉でありながら、最も身近な不可知である、「他人」という存在について、一人の例をとって考えたいと思う。

さてインターネットの記事で、私の尊敬する社会人であり、歌の天才であるところの前川清が、一年間だけ結婚し、「(離婚理由は)ありません」と言って別れた元妻、現代では、宇多田ヒカルの母として認知される藤圭子の6回目の命日に寄せて、話している記事をみかけた。

二人の結婚生活はお互いの多忙により、すれ違いだけの結婚生活であったという。記事の内容は割愛するが、一点、前川清は藤圭子の心情を代弁するようなことは一切ない。

藤圭子、私は日本の女性歌手のうち、藤圭子だけは忘れられないと思っている。

彼女は、デビュー前、新宿で流しをしていたころスカウトされたそうで、あの当時今よりもっとめちゃくちゃで猥雑であったであろうゴールデン街やションベン横丁の呑み屋と呑み屋の隙間の粘りつくような暗い影の中から、尚更暗い、何処へも通じていなそうな暗さを湛えた眼をして、ヌッと藤圭子が出てくるのは、ある種の絶景であったろうと思う。

テレビに出ていた映像を見ても、細い体の細い喉を、圧し潰すように低く、歌の歌詞が描く情景よりも、本人の目が圧倒的な本質的暗さを持っていた。バブル経済へ向かう、天井知らずと思い込んでいた当時の日本の雰囲気の上澄みを、また蒸留したようなテレビ業界の電飾を持ってしても、その暗さは照らし切れないばかりか、ただただその虚空が控える彼女の黒い目の暗さを引き立たせたに過ぎないという姿であった。

彼女はのちにアメリカに渡り、前後関係に私は詳しくないが、娘・宇多田ヒカルの父となる人と結婚している。宇多田氏とは、都合6回の結婚と離婚を繰り返したという。そして月日は流れ6年前の夏、新宿のマンションから投身自殺したのだった。

何に突き動かされて、生きて、何を終えて、死んでいったのか。

藤圭子の人生、それをマスコミという下世話なフィルターを通して見聞きして、ああだこうだというのは簡単である。彼女の「奇行」といわれる行動も、彼女なりの言い分を聞けば、或いは納得のいく至極真っ当なものであったかもしれないし、何より現実として彼女の実際に触れず、外から良いだの悪いだのという私たちは、全く彼女に対して無礼であり、無遠慮と言えるだろう。
彼女はすでに鬼籍にあり、イタコの口を通してしか彼女の言葉はもう聞けない。
もう、知る由はなく、想像するのみである。
繰り返して言うが、我々が知るのは彼女のそのものの姿ではない。画面や歌、その他の資料や他人が語る様子でしか彼女に触れる術がない。

私たちは彼女に貼るレッテルを持ち合わせていないのだ。これは彼女の生きていたときもそうだったし、鬼籍に入った、つまり亡くなった後でも変わらないし、今後もそうなのである。ちょうど玉ねぎの皮を剥くように、光源を探して電球を割るように、近づくか、ややもすれば細かな部分的情報を得ることによってかえって、彼女の「ほんとう」から隔絶されてしまうことさえ起こりうるだろう。後者は、私たちの日常にもあることで、自分と相手とで「友達同士だね」とある種の契約めいたものを交わすことで、「友情」らしきものが担保される反面、一方ではある部分の越境は許さない線引きをする行為に似ている。

さて、ここで一つ、読者の皆さんに考えて欲しいことは、あなたの隣人、友人知人、職場で出会う数多くの人たち、そして誰あろうご自分自身についても、あなたがこれまでの人生で得た偏見によって、相手を、そして自分を縛り見限っていませんか?と言うことである。

私がバカはバカなりに得た書の知見で申せば、東日本大震災以後盛んに言われる「絆」という字。あの字は“(馬牛羊等の)動物をくくりつけておく縄や紐”を指す字であるということです。その美談として報道された荒野のコンビニでお客さんが列をなしている姿や、サッカー場で日本の応援団がゴミを拾う姿などが報道されたのはご存知のところ。

私はそこに特段の感動はありません。というのも、
美談ばかりではなく反対に、避難所で赤ん坊がなく声にイライラするという声が聞かれたり、サッカーの試合で大きな旗を広げて、それに賛同しない人が試合が見たいのに見えないとか、そういうところがあるからで、時と場合によって人間善意や悪意があるものですから、それはめいめいが勝手にしていれば良いことであり、それを無言のうちに強要するということは、自発性を欠いている点において二段も三段も落ちる、むしろ自発的行動に比べれば本質は違う性質のものだと言えるわけで、切り取った報道や情報の奥に、無数の現実があることが見えるわけで、被災地に限って言えば、被災者一人一人個別の心情をよそに良かったとか悪かったというのは、見苦しいですね。ただ誤解しないで欲しいのは、冷笑せよ、ケチを付けようと言っているわけではなく、私は事実を見よう。と言っているのです。わからない部分とわかった部分をきちんと識別しておくということです。

ここまで読んでくださる方なら、今日は一つ、あなたの大事な人をもっと知るために、一つ勇気を出して、日頃ならしない質問や、小さい頃の自分の話をしてみるというのはどうでしょう。意外な反応が返ってくるやもしれません。そうして一つ、日常の画素数を増やしてみてください。思ったよりあなたの日常は面白いかもしれません。

最後に藤圭子が若かりし頃、彼女の盲目の母の手を引いて歩く写真というのがあり、その写真の藤圭子は、とても優しい目をしていたことを添えて、筆を置きたいと思う。


略歴
1981年、鹿児島県産まれ。
宇都宮大学教育学部国語科教育八年満期退学
「東京に行け」との高校の恩師の言葉を独自解釈し北関東に進学。
修辞学、哲学、文学、芸術、音楽、サブカルチャー等乱学。
効率、生産性ばかり喧伝する文化の痩せた世の中になった2008年ごろ、気づいた頃には相対的に無頼派となっており、覚悟し流れ流れて福祉業界に。
知的障害者支援、重度訪問介護、などに従事。
「能(よ)く生きる」ことを追求している。
友愛学園成人部職場会会長