いのち~電車内の産声~

いのち~電車内の産声~

菅野真由美(埼玉西部エリアマネージャー)



私たちは人の命に関わる仕事についています。医療的ケアのある利用者の支援に入るという事は、その方のその日の命をつなぐと言えるほど、責任のある仕事です。 実際の現場では体調の安定されている利用者が多いため、吸引や経管栄養といった行為には毎回緊張感があるものの、私は緊迫した命に向き合っている実感はそう多くありませんでした。
それでも利用者から苦しいと訴えがあり、緊急マニュアルにそって家族や関係部署への連絡、救急車で搬送、といった報告も時々あり、スタッフが「いのち」に向き合う事があるのも現実です。

先日、違う形で「いのち」に向き合う出来事がありました。

電車の中で出産してしまった女性と赤ちゃんの救護に携わったのです。

長い距離をグリーン車で移動していた私。その日はたまたまトイレの近くに乗車していました。もうすぐ目的地に着くので、身支度をはじめたところ、電車が緊急停止をしました。
何だろう…と思っていたら車両をつなぐドア越しに「大丈夫ですか?」とのJR職員の問いかけが聞こえました。ドアの向こうは確かトイレ。具合の悪くなった人がいたんだ、くらいにしか考えていなかった私の耳に次ぎに聞こえたのは赤ちゃんの泣き声。
「え?」と思いながらすぐにトイレに行ったら女性がすでに赤ちゃんを産んでいて、その赤ちゃんは便器の中にすっぽりとおさまり、か細く泣いていました。女性の私でさえうろたえる状況の中、男性の職員は腰を抜かしてしまいどうする事も出来ません。

女性は比較的落ち着いていました。私の声かけにも応じていて気を失う危険性も感じません。

落ち着け、一番先に何をすべき?

まずは赤ちゃんを拾い上げなければ。

何が必要?

私は頭の中がグルグルしています。

その時に私がとった行動は、乗客にバスタオルと何でもいいからタオルの提供を求めました。そしてJR職員には乗り合わせていたらドクターか看護師を車内放送で呼んで欲しいこと、近くの駅まで車両を移動し救急車の手配をすること、をお願いしました。

何よりも怖かったのは、壁についている流すボタン。女性の手がそのボタンの近くの壁を押さえています。もしもうっかりボタンに触れてしまったら赤ちゃんは流れてしまう可能性があります。女性を落ち着かせ、絶対にボタンに触らないよう話し、手の置き位置を変えました。
今流行りの自動水洗(立ち上がると自動で流れる)だったらどうなっていたのでしょうか。

運よく乗客からバスタオルの提供があり、意を決し私は赤ちゃんを拾い上げるために女性に立ち上がってもらいました。
ですがそこには予想外の光景が。
まだ母親と赤ちゃんは臍帯(へその緒)でつながっていたのです。通常の出産では医師がハサミで切ります。もちろん状況からしてハサミなど無く、あったとしても私には切る勇気もありません。

また頭の中はグルグルです。

落ち着け、どうしたらいい?

確か出産が終われば胎盤は自然とはがれて出てくるはず。それを待つしかない。

もう一度女性に座ってもらい状況を説明し気持ちを落ち着かせていたら、今度は赤ちゃんの声が聞こえなくなってきました。

時間がない。
このままでは死んでしまうかも。

気を取り直し、もう一度女性に立ち上がってもらうと、胎盤が排出されていてお母さんから赤ちゃんは完全に離れています。

今しかない。

私は素手でした。支援の現場では必ずグローブがあります。ですがここにはありません。
目の前の消えゆく命に、ためらってる時間はありません。
血だらけの赤ちゃんを救い上げバスタオルにくるみました。

腕の中に抱いてからよく確認するとまだ顔には膜がかぶっていて、目も開けられず息をする口さえ覆っています。
必死にその膜を手ではがしたところ、目をぱちっと開けてくれました。

がんばって。

心の中でそう叫びながら祈る思いでした。

たまたま乗り合わせていたドクターが来てくれました。状況を説明しましたが、今出来ることは保温しかないとのこと。その場にいた乗客はスーツケースを広げて次々と衣類の提供をしてくれました。その衣類で赤ちゃんの保温につとめながら、産んだ女性にも気を配りました。
出血量もかなりあった為、貧血で倒れる危険性や女性の精神面も心配でした。

赤ちゃんが泣かなくなってしまい、ドクターは口内の吸引がしたいと言いました。

勿論ですが吸引の道具もありません。

「誰かストロー持ってませんか?ジュースについてるストローでいいです」

乗客は伝言ゲームのようにどんどんと拡散してくれ、持っている人を探してくれました。

ちょうどその頃、女性の夫がなかなか戻らない妻を探しにきて出産の事実を知ります。

ドクターに指導されながら赤ちゃんの父親が口の吸引をしました。
当然ですが消毒剤などないので、そのままストローを口の中にいれて父親が吸い出す吸引です。
吸引された赤ちゃんからは少し声がでました。車内には少しだけほっとした空気が流れます。

救急車の到着までかなり長かったですが、救急隊員が到着し駅のホームで処置が始まりました。母親も救急隊員に引き渡し、私はやっと役目を終えたのです。

事が終わり車内に戻ると、さっきの男性職員が震えていました。
「いい経験しましたね」と背中をさすってあげました。

車内は不思議なチームワークがうまれていました。
みな偶然居合わせた知らない物同士ですが、一つの目標に向かって力をあわせ連携がはかれたのです。

「赤ちゃんとお母さんを助ける」という強い思いのもとに、素晴らしいチームワークでした。

ふと、災害時はきっとこうなんだろうな、と感じました。

ちゃんとした環境じゃない状態で、ありあわせの知恵を寄せ集め、知らないもの同士が協力し合う。

重度訪問介護の支援に入っていると、誰もが一度は抱く不安、災害時はどうするのだろうと。
先日の台風もあり色々と考えました。

ですがこの経験でかなり勇気がでました。

命は一人ではつなぐことは出来ません。

いかに周りの協力を得られるか、限られた状況で知恵を出せるか、その場にいる人でどれだけ連携がはかれるか、だと思います。

私は動き出した車内で血だらけの洋服を一枚脱ぎ、腕から手を石鹸で丁寧に洗い、上着をはおり目的地へと向かいました。

その後、消防署からの電話と報道で母子の安全を確信しました。私はそこでやっと安堵し膝が震えた次第です。



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