「本当の子どもになりたい」とピノキオは言った

わたしの



 一歳半を過ぎたころに娘が「パパ、パパ」と私のことを呼ぶようになりました。「パパ」と教えたわけではないけれど、いつの間にか私を指さし呼ぶようになりました。どうやら私は「パパ」らしい(笑)。

 私も時々「マンマ」を作り、休みの日はせっせと食べさせているのですが「ママ」とは呼んでくれません。パッと仕事に行ってパッと帰ってくる存在だからでしょうか。

 よく「ママ」にはお腹すいただの、眠いだのさんざん泣いて訴えていますが「ママ」いわく私にはあまり訴えないとのことなので「ママ」よりは切実ではない存在かもしれません。

 2018年にソニーが新型aibo(アイボ)を発表しました。aiboをご存じの方も多いとは思います。ソニーが開発したいわゆる犬型ロボットです。家族の真ん中で、あるいは単身者に寄り添うペットのような存在になることを目指して1999年に開発され(20年前)、2006年まで販売されました。販売終了から12年経った2018年にふたたび新型が登場し、そのときから表記がAIBOからaiboに変更されました。

 aiboと聞いてすぐに頭に浮かんだ姿は、もしかしたらそれは12年前、あるいはさらに以前に販売していたもののビジュアルかもしれません。1999年の発売当初はロボットを購入する時代の到来としてセンセーションを巻き起こしました。そのニュースを耳にして未来・21世紀を感じた人もきっと少なくはなかったはずです。

 12年ぶりの発売という発表を聞いて考えたことがありました。それは、ずっと昔に購入したaiboを今でもかわいがっている人はいるのかな、ということです。犬や猫などの動物がペットとして愛され、かわいがられるのと同様にaiboもまた今でも愛され、かわいがられているのだろうか。それとも飽きられて捨てられているのか、電池が切れて押し入れの奥にしまわれているのか、リサイクルショップに売られてしまったのだろうか、と様々な想像を巡らすことができます。売れた数だけそれぞれのaiboがたどった物語がありそうです。

 例えば少なくとも12年経った今でも、とても大切にされているaiboがいるとします。家族の一員として、子どものように、友だちのように、大切に大切に扱われ、その家の本物のペットになっているaiboがいるのだとしたら、大切に扱われているaiboと捨てられたaiboの違いってなんでしょうか?デザインでしょうか?機能でしょうか?ソニーは人間に愛される存在にするべくそのビジュアルやスペックを日々研究し、改良に改良を重ねたはずです。でも、例えばデザインも機能も同じものなのに扱われ方が違ってくることもあります。何が違うのでしょうか?

 きっと、それは周りの人間の愛着の問題を他所に置いて考えることはできないはずなのです。購入した人間がそのaiboを本物のペットとして見ることができるかどうかにかかっているのだと思います。つまり、その子を「大切な存在だ」「かけがえのない存在だ」と人間側が思えるかどうかなのではないでしょうか。

 そんなことを考えていたらディズニーのピノキオを思い出しました。ピノキオも「本当の子どもになりたい!」と星に願いをかけ、みんなから愛されるために切実に頑張ります。だけどaiboのことを考えたら、本当の子どもになれるかなれないかはピノキオの問題ではなく、「おまえはわたしの本当の子どもだ」「大切な存在だ」という周囲のまなざしの問題ということが分かります。木の人形だっていいじゃない、他の人がなんと言おうと「わたしにとってはおまえは本当の子どもだ」とゼペットじいさんが思えばピノキオは本当の子どもなのです。

「別に何だっていいじゃない、わたしにとってあなたはかけがえのない存在です」ということですね。当事者だけのせいではなく、まわりがどう見るか。どうあるか。関係の双方向性。いいえ、偉そうな物言いになってしまいました。分かっちゃいるけど、ソウイウモノニワタシハナリタイ(^_^;)なんです、本当は。

 このコラムを書いている今も、娘が「パパ、パパ」と呼びかけてきます。言葉を覚え始め、ものの違いが少しずつ分かるようになってきました。「パパ」と呼びかけられる喜びとともに「おまえは私をパパって呼んでくれるんだねー」と不思議に思います。幼い娘からそのように呼ばれるし、そのようにまなざされて私はだんだんと「パパ」になっていくのかもしれません。

 「本当のパパにしてくれるかい?」そう娘に聞いている今日この頃です。




【プロフィール】
「わたしの」
1979年生まれ。山梨県出身。
学生時代は『更級日記』、川端康成、坂口安吾などの国文学を学び、卒後は知的障害者支援に関わる。
2017年、組織の枠を緩やかに越えた取り組みとして「わたしの」を開始。
「愛着と関係性」を中心テーマにした曲を作り、地域のイベントなどで細々とLIVE 活動を続けている。
音楽活動の他、動画の制作や「類人猿の読書会」の開催など、哲学のアウトプットの方法を常に模索し続けている。
♬制作曲『名前のない幽霊たちのブルース』『わたしの』『明日の風景』
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