2020年はこうありたい

2020年はこうありたい

佐藤飛美



2020年はこうありたい

2019年 私は変化を望み、スタートを切りました。
振返ると確かに様々変化のあった一年でしたが、その変化が私自身の望むような理想的な変化だったかというと、残念ながらそうではありませんでした。
それはなぜか、外的要因によってもたらされた変化に甘んじてしまい、私自身の内なる変化を起こしきれなかったからだと思っています。

少し…昔話にお付き合いくださいませ。
人生とは日々大なり小なり選択の繰り返しなわけですが、私の人生で過去大きな選択をしたことが何度かありました。

最初は14歳の時。
自分を取り巻くあらゆる環境を一新したくて、転校したいと母親に申し出ました。
親友も級友も全てをリセットしたくて、身勝手に「もうこれっきり会わない」と告げたのです。
当時の親友からは、いつかそう言ってくるのではないかと、わかっていたよ、飛美らしいと言われ、逆に私自身が驚き…今でもその時のやり取りが記憶にハッキリと残っています。
そして本当にそれっきりのこれっきり。

次は、それでも飽き足らず15で家を出た時。これも私にとってぶっ飛んだ選択であり一大決心でした。
学びたいと思い覚悟を持ってもう一度ペンを握り直した時。自分の人生を取り返したくて離婚を決めた時。
ESLでやっていこうと決めた時もそうだったかもしれません。
大きな決断を幾つか経験しました。

思い返せば…
小さな頃から変化を恐れず、むしろ好み、新しい事へのチャレンジが大好きなおてんば娘でした。
度胸もそこそこあったと思います、バンジージャンプにも興味を抱きピョーーーンと飛び降りては気分爽快、スカっとしていました。

私の名前は「飛美」と書いてあすみと読みますが、そんな漢字を用いてはフーテン娘に育つと私の将来を危惧した祖母から、当時反対された名前だそうです。

ウィキペディア先生によると、瘋癲(ふうてん)とは、定職を持たず街中などをふらつく精神疾患…??なんと…あまりに酷い…笑
定職にはしっかり就いています、天国のお婆ちゃん安心してね!笑

話は戻りますが、変化にストレスをあまり感じない私だったはずが、今年1年を振返った時、どうだったでしょう。 2019年、夏。
「好奇心が止められない」と私に話してくれたチームメイトがおりました。
深く共感すると同時に、今の自分がどれだけ不変的な過ごし方をしているかに気が付き、胸がチクっと痛んだのです。
いつからこんな選択をするような人間になったのだろうと。

欲しい物を得るために、不要に感じたものは強い意志を持って捨ててきたつもりの私。
今は何も捨てられない私。
捨てられないを理由に欲しい物を諦める私。
あっという間に今年ももう終わるね…なんて悠長な調子で言えちゃう私。

2020年
私は強さを取り戻す、そんな1年にしたく思います。

強さと書いた中には、私なりに込めた想いや項目が幾つかあるのですが…
ここで書き記しておきたい1つは、自分自身の成長を諦めないこと。
時に自分を律する強い心です。

なりたい自分になりましょう。

これは赤羽の居酒屋店主の言葉であり、ひっそりと私が座右の銘にさせて頂いている言葉なのですが…
2020年はなろうと思います、なりたい自分に。
その為に、強くあろうと思います。

どうぞ来年も、皆さま宜しくお願い申し上げます!


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