早いもので思うところがあり前活動団体の某自立生活センターの活動やそれに付随するような形で運営されている介護派遣事業所からの脱出を図り、これが上手くいかなければ私の17年続いた自立生活も終了で、どこかの本来望まない入所施設に収容・隔離され、私の人生こんなはずではなかったと日々ストレスを溜めながら年を取り衰弱してこの世を去る日まで生きながらえることになるかもしれないと覚悟を決めて活動を終了しました。
その日から介護派遣事業所を一生懸命探し、インターネットの上位に土屋訪問介護事業所がヒットし渡りに船と思わんばかりに難病ではなく医療的ケアも今のところ必要としていない重度の脳性麻痺で長時間介護を希望しているのですが受けて頂けますか?という一本の電話から土屋訪問介護事業所との関わりを作らせていただくことになりました。あれから丸3年、4年目の春が来ているなんて、時の経つのが早すぎてこれではあっという間に高齢者になってしまうという焦りと共に、なるべく日々を大切に暮らそうと心に決める今日この頃です。
そして、社会参加活動も定期的に頂けるようになり、日中の過ごし方を苦慮していたことを懐かしく思えるほどに活発な活動ができるようになりました。それから毎日の暮らしが土屋訪問介護事業所から(他事業所も3社使っているが土屋訪問介護事業所が1番契約時間数が多いのです)派遣される介護者の方たちの協力のもと、地域に暮らし続けられていることはとても有難いことです。4年前の時点で破綻していても不思議はない私の生活だったのですから…。
冷静な時は上記のように本当に感謝して毎日を暮らしているのですが、人間なので冷静さをどうしても欠いてしまう瞬間もあります。そんなときはついつい介護者に言わなければ良いような一言を言ってしまい、言われた方はそれがずっと消えず、あの時は疲れていて虫の居所が悪かったでは済まされない事態に発展してしまうのです。サービスに入って頂いている間の介護者との距離間は大変難しいのです。家賃の関係もあり、そんなに広い空間が確保できるわけでもなく身体介護をお願いするためにはそれなりの距離の近さも求めなければそもそもサービス提供ができないのです。
それと同時に、介護者不足も根本的な解決が未だ困難な中で暮らしているとどうしても今入っている慣れた介護者に1枠また1枠と入れるのならば時間と曜日を増やしてほしいと願うことになるのです。それは一見お互いの生活が安定してwin-winな関係が築けたかに思えますがそれはお互いの関係性が上手くいく間のことであり、利用者である私もどうしても求めすぎになってしまうのです。
介護をする方の側もこんなに介護をしているのにという思いが強くなり、介護者にとって改善して欲しいポイントが改善されないことに苛立ちを覚えることになってしまいます。そんな双方の苛立ちがある中で、長時間介護の関係性を保ち続けることがとても苦しくなってしまうのです。考えてもみれば、家族だって夫婦だってそんなに四六時中一緒に居る訳ではなく、仕事もあれば家族と離れる時間は必ずあります。
そのため、お互いほどよく離れたりくっついたりして関係性が保てる環境ができているのだと思います。介護が必要であるということで、いてもらう介護者はもちろん仕事中なので私が待機をお願いするとき以外は傍にぴったりくっついていることにならざるを得ません。どんなに優れた人でも疲れたり感情が乱れたりすると関係性そのものがしんどくなるのは当然だと最近つくづく感じるようになりました。細く長く関係性を保っていくためには長時間サービスの場合、週に2日もしくは多くても3日くらいのサービス頻度で、お互いリフレッシュタイムを作れる関係性が良いのだとつい最近学びました。基本的に介護者がいなくては頭で何を考えても実行には移せず生きているのですから。来て下さる介護者はみんな神様なのです。それがいつしか辛いと思える関係性に豹変してしまうのは大変悲しいことです。そうならないように何か介護人材不足を抜本的に解決する秘策は無いものかと思います。
これからも永続的に地域で自分らしく暮らしていくためには介護者とのより良い関係性で気持ちよく生きることがお互いに可能なように気を引き締めて構築し続けていきたいと思います。当事者が重い障害を背負いながら暮らすということも常に頑張っていかなければ弱肉強食の如く競争に負け事業所任せで自らの芯が無いと自然淘汰されてしまう世の中がすぐ側まで来ていることを強く感じます。次回以降、折を見て、私が築き上げてきた介護制度を取得するための運動の歴史を紐解きながら再び自分の中に沸くハングリー精神を喚起しながら障がい者運動の歴史をご紹介していきたいと思います。私が自立したての頃は自分で自分の明日の生活を成り立たせるための介護を必死に探す毎日でした。その時代の逞しさをもう一度思い起こしながら介護者と安上上手く暮らしていこうと改めて心に決める20年目の春です。
渡邉由美子
1968年6月13日生まれ 51歳
千葉県習志野市出身
2000年より東京都台東区在住
重度訪問介護のヘルパーをフル活用して地域での一人暮らし19年目を迎える。
現在は、様々な地域で暮らすための自立生活運動と並行して、ユースタイルカレッジでの実技演習を担当している。
その日から介護派遣事業所を一生懸命探し、インターネットの上位に土屋訪問介護事業所がヒットし渡りに船と思わんばかりに難病ではなく医療的ケアも今のところ必要としていない重度の脳性麻痺で長時間介護を希望しているのですが受けて頂けますか?という一本の電話から土屋訪問介護事業所との関わりを作らせていただくことになりました。あれから丸3年、4年目の春が来ているなんて、時の経つのが早すぎてこれではあっという間に高齢者になってしまうという焦りと共に、なるべく日々を大切に暮らそうと心に決める今日この頃です。
そして、社会参加活動も定期的に頂けるようになり、日中の過ごし方を苦慮していたことを懐かしく思えるほどに活発な活動ができるようになりました。それから毎日の暮らしが土屋訪問介護事業所から(他事業所も3社使っているが土屋訪問介護事業所が1番契約時間数が多いのです)派遣される介護者の方たちの協力のもと、地域に暮らし続けられていることはとても有難いことです。4年前の時点で破綻していても不思議はない私の生活だったのですから…。
冷静な時は上記のように本当に感謝して毎日を暮らしているのですが、人間なので冷静さをどうしても欠いてしまう瞬間もあります。そんなときはついつい介護者に言わなければ良いような一言を言ってしまい、言われた方はそれがずっと消えず、あの時は疲れていて虫の居所が悪かったでは済まされない事態に発展してしまうのです。サービスに入って頂いている間の介護者との距離間は大変難しいのです。家賃の関係もあり、そんなに広い空間が確保できるわけでもなく身体介護をお願いするためにはそれなりの距離の近さも求めなければそもそもサービス提供ができないのです。
それと同時に、介護者不足も根本的な解決が未だ困難な中で暮らしているとどうしても今入っている慣れた介護者に1枠また1枠と入れるのならば時間と曜日を増やしてほしいと願うことになるのです。それは一見お互いの生活が安定してwin-winな関係が築けたかに思えますがそれはお互いの関係性が上手くいく間のことであり、利用者である私もどうしても求めすぎになってしまうのです。
介護をする方の側もこんなに介護をしているのにという思いが強くなり、介護者にとって改善して欲しいポイントが改善されないことに苛立ちを覚えることになってしまいます。そんな双方の苛立ちがある中で、長時間介護の関係性を保ち続けることがとても苦しくなってしまうのです。考えてもみれば、家族だって夫婦だってそんなに四六時中一緒に居る訳ではなく、仕事もあれば家族と離れる時間は必ずあります。
そのため、お互いほどよく離れたりくっついたりして関係性が保てる環境ができているのだと思います。介護が必要であるということで、いてもらう介護者はもちろん仕事中なので私が待機をお願いするとき以外は傍にぴったりくっついていることにならざるを得ません。どんなに優れた人でも疲れたり感情が乱れたりすると関係性そのものがしんどくなるのは当然だと最近つくづく感じるようになりました。細く長く関係性を保っていくためには長時間サービスの場合、週に2日もしくは多くても3日くらいのサービス頻度で、お互いリフレッシュタイムを作れる関係性が良いのだとつい最近学びました。基本的に介護者がいなくては頭で何を考えても実行には移せず生きているのですから。来て下さる介護者はみんな神様なのです。それがいつしか辛いと思える関係性に豹変してしまうのは大変悲しいことです。そうならないように何か介護人材不足を抜本的に解決する秘策は無いものかと思います。
これからも永続的に地域で自分らしく暮らしていくためには介護者とのより良い関係性で気持ちよく生きることがお互いに可能なように気を引き締めて構築し続けていきたいと思います。当事者が重い障害を背負いながら暮らすということも常に頑張っていかなければ弱肉強食の如く競争に負け事業所任せで自らの芯が無いと自然淘汰されてしまう世の中がすぐ側まで来ていることを強く感じます。次回以降、折を見て、私が築き上げてきた介護制度を取得するための運動の歴史を紐解きながら再び自分の中に沸くハングリー精神を喚起しながら障がい者運動の歴史をご紹介していきたいと思います。私が自立したての頃は自分で自分の明日の生活を成り立たせるための介護を必死に探す毎日でした。その時代の逞しさをもう一度思い起こしながら介護者と安上上手く暮らしていこうと改めて心に決める20年目の春です。
渡邉由美子
1968年6月13日生まれ 51歳
千葉県習志野市出身
2000年より東京都台東区在住
重度訪問介護のヘルパーをフル活用して地域での一人暮らし19年目を迎える。
現在は、様々な地域で暮らすための自立生活運動と並行して、ユースタイルカレッジでの実技演習を担当している。