~看護師になって13年の私がなぜ介護事業所に?~

中学校の進路を決めるとき、私は、福祉系の高校に進学しようと考えていた。
当時の担任が、人を笑顔にする力のある樋口は看護師が向いていると思う、あと5年間高校(五年一貫教育)をエスカレーターで卒業すれば正看護師になれるとのアドバイスを受け、大学受験なしに心奪われあっさり福祉系高校から看護師への進学にシフトチェンジした。
母に看護師になると伝えると、押し入れの奥から幼稚園のアルバムを出してきた。母が開いたページには、4歳の私が将来なりたい仕事として、かんごふさんと書いてあった。
昔の自分がそう思っていたんだとびっくりしたが、運命的なものを感じさらに看護師になる気持ちが強くなった。



私は今、名古屋の土屋介護事業所で働いている。
看護師になれなかったわけではない、無事合格し、看護師になって13年目になった。
救急外来や精神科病棟、クリニックで胃や大腸の検査や訪問入浴など看護師としていろんな経験をしてきた。
今から3年前に、看護師の人間関係に疲れはて、人としてまた看護師としての自尊心や自信がなくなってしまった。看護師として働くことが怖くなってしまったのです。
当時は1日12時間ゲームをし、引きこもっていましたが、少しずつ人間らしさを取り戻し、社会復帰しようと思えるまでにはなったものの、看護師は怖い。
今まで看護師一筋だった私に、仕事は何ができるのかといろいろ考える日々が始まった。
結局私がしていきたいのは、人を支える仕事だといきつき、看護師以外でそういった仕事がないか探していると、重度訪問介護がネット検索でひっかっかった。
医療的ケアをする介護の仕事?最初はよくわからなかったが、とにかく働きたかった私は、土屋の面接をメールで予約した。
するとすぐに、メールで面接に日時が決まった。面接前日に、知らない番号からの電話を取ると、ゆるいというかほんわかした声で面接の確認の電話だった。それが、今の上司の吉岡さんとの出会いです。



縁あって土屋で働き始めて1年3か月、最初は非常勤ヘルパーからのスタートでした。
週に一回16時間半、脳性麻痺の独居の方の支援をゆったりした時間の中で働いていました。
働き始めて3か月が経った時、吉岡さんから、指導看護師っていう仕事があるよと、声をいただき、「私でよろしければ」と返事をし、看護師としての仕事を再スタートしました。
また3か月経った時、第三号研修の講師やらない?常勤で働きませんか?とのお声をいただき「私でよろしければ」と返事をし、北は静岡、南は姫路まで仕事で行くようになりました。
また3か月経ち、実務者研修の講師もあるんだけど、とお声をいただき「私でよろしければ」と返事をしました。

入職して1年3か月、ゲーム廃人だった私は、ふんわりした空気感をもちながら、すごく頼れる上司との出会いによって、看護師の資格を活かしつつ遠方を飛び回るようになった。
周りの人からは、短い間に先生になって出世感が半端ないと笑われたりしますが、私は、この会社に入ったからこそ今の私がいるのだと思っています。
自分の存在をうまく生かしてキャリアアップさせてくれる上司がいる、仲間がいる土屋に入ってよかった。
今は、介護事業所で看護師として何ができるか、日々模索しながら仕事をしています。



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